FP栗本物語5 :: 生命保険会社~独立へ

“ライフプランナー”としての葛藤

  • さて、そんな経緯でソニー生命に入社しました。この会社の営業マンはライフプランナーと呼ばれ、当時26歳だった私はその時に入社した全国80名ほどのライフプランナーの中で文字通り最年少でした。

    横浜での3日間の集合研修を終えて大阪の支社に戻り、1ヶ月は朝から晩まで研修の日々です。この時に、生命保険に対する見方というか考え方が大きく変わりましたね。

    一言で言ってしまうと「守るべきものがある人にとって、本当に大切なもの」なんだということを実感したわけです。
    この考えは、今でも私の中に根付いております。

    研修を終えていよいよ営業デビューとなるのですが、私自身プロの保険営業マンになりたいわけではなく「プロのFPとして力をつけたい」というのが本音なわけですから、この保険営業というものには随分苦労した覚えがあります。

    「身近な人の保険こそちゃんと見直してあげるべき」という考えと「でも保険の営業に来られるのって迷惑だよね」っていう気持ちが交錯しておりましたから。
    ですから、当時も今も、自分から進んで話をすることってあまりありません。「余計なお世話かな」って思う気持ちが大きいのです。
    それが、こうした「インターネットによる情報提供」や、セミナーや原稿執筆を通じたFP知識の普及、という活動に力をいれるようになった原点なのかもしれないですね。
    もちろん、「教えて」「聞かせて」と言って下さる方には、全力で対応いたしますが。

    そんなわけで、結構複雑な想いを抱えてスタートを切ったのですが、それでも何人かの方から「保険会社に行ったんなら、自分の保険を見て欲しい」という声をかけて頂いたり、お知り合いを紹介してもらったりで、徐々に契約数も増えていきました。
    その年の年末にあった社内のコンテストでは入賞することもできまして、とりあえず自分なりのスタンスを見つけていけたのかなって思います。

    独立に向けて

    2年目に入りますと、気持ちはFPとしての独立に向かっていましたので、保険の営業そっちのけで、今まで以上にいろんな人達とお会いして、独立後の自分の姿を描くことに一生懸命でした。そして、その姿勢は営業成績にも反映していました。

    ソニー生命からの報酬は「歩合給」ですから、営業がおろそかになって結果が出ないと、当然収入は減っていきます。
    自分で選んだ道とはいえ、今思えば多くの方にご心配とご迷惑を掛けてしまった時期だったなと、反省するばかりです。

    プライベートでは、この頃に3人目の娘が誕生しました。2人目の時には「男の子が生まれたら・・」なんてことも考えていましたが、3人目はなぜか最初から女の子だろうと思っていた記憶がおります。

    ちなみに、私は3人の子どもの誕生すべてに立ち会っており、その経験から「事情が許す限り出産には立ち会うべきだ」という考えを強く持っています。

    えー、これも時効?だと思ってお話ししますが、このような中でFPとしての活動の幅はどんどん広がっていたのです。
    当時は、FP関連のセミナーや資格取得のための講座が一気に増えていた時期ですから、前職のLECを中心に講師の仕事は多くありましたし、多くの人とお会いしたおかげで、原稿を書く仕事のお手伝いも数多くさせていただきました。もちろん、当時の所長や支社長にはある程度話をした上での活動です。

    そして、当初から独立までの期間と考えていた3年という節目が近づいてきたことと、20代で独立を果たしたかったこと。また社内の組織が大きく変わり、今までのような活動では周りの方に迷惑をかけてしまうようになることが重なりまして、2001年3月をもってソニー生命を退職することにしたのです。

    ここに、独立系FPの栗本大介が誕生し、エフピーオアシスを設立する運びとなったわけです。
    2001年4月29歳の時でございました。

    世の中では、東京ディズニーシーとユニバーサル・スタジオ・ジャパンが開園し、小泉内閣が発足した年です。ちなみに、今では多くの人が調べものをするときにお世話になるウィキペディアの発足や、JRのsuicaのスタートもこの年でした。

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