FP栗本物語4 :: 社会人~FP取得まで

FPという資格に出会う

  • ようやく、FP誕生物語らしい場面にたどり着きました。

    さて、そんなわけで、妻子持ちの新入社員としてお世話になったのが、資格の総合スクールである株式会社東京リーガルマインド(通称:LEC)でした。

    元々法学部にいた私は、大学2回生の時から司法書士の勉強を始めており、その時に受講生として通っていたのがLECだったというご縁です。
    結局本試験は2度受けてダメだったのですが、この時から「将来はなにか資格を取って仕事をしよう」という思いがありまして、ならば、資格を扱っているLECで働くのがいいんじゃないか?と考えて選んだ職場でございます。

    入社して半年ぐらい経ったころでしょうか、LECでもFP講座を実施することになり、仲良かった同僚のU氏がその講座の担当となりました。
    ちなみにこのU氏もCFP®であり、今も最高の友人の1人です。

    ある日、彼から「この資格はおもろい。お金の運用やら保険のことが勉強できるから、絶対お前の役に立つはずや」と言われ、ならば一緒に勉強しようとなったのです。
    1994年12月のことでした。

    当時は通信教材しかなかったので、社員割引で申し込み、自宅での勉強を始めたわけですが、これがなんといっても面白かったわけです。
    目からうろこっていうのとはちょっと違いますけど、「こういう知識は絶対に大事やん!何で今まで知らなかったんや!」っていう内容ばかりで、どんどん引き込まれていったのでした。

    実際に試験を受けたのは1995年8月で、勉強開始からは半年以上かかったのですが、無事に合格した後は、絶対にFPに関わる仕事をしようと決心しておりました。

    日本では、阪神・淡路大震災や地下鉄サリン事件が起こり、日銀が公定歩合を0.5%に引き下げて、超低金利時代が幕開けとなった年でもありました。

    名刺

    この時に、U氏と2人で将来のために決めたのがエフピーオアシスという名前でして、そう考えると、20年前からこの名称を使っていることになります。当時勝手に作っていた名刺は今でも手元に残っています。

    ちなみに、「エフピーオアシス」という名前ですが、「砂漠の中のオアシスのように、発見したときにホッとしてもらえるような存在になりたい」「見つけてよかったと思ってもらいたい」という意味が込められております。

    CFP®をめざして

    さて、FPに興味を持ったとはいえ、私の周りにFPの方は誰もいらっしゃらなかったので、それならばということで、東京でFP資格の講座を取りまとめておられたKさんにお願いし、通信教材の中で話をされていた講師の方と会わせてもらうことにしました。
    もちろんみなさん東京の方ですから、U氏と2人で週末を利用して東京に行き、直接色々な話を聞かせていただきました。この時の段取りをすべてしてくださったKさんには、本当に感謝しています。

    ですから、私がFPの世界に入ることができたのは、同僚のU氏と、東京の担当者であったKさんのおかげというわけです。

    さて、東京でお会いしたFPの方々が言うには、この仕事は面白いしこれからどんどん伸びるだろうけど、資格を取っただけではどうにもならないから、もっと色々な人に会って実務を勉強する環境を作るべきだ、ということでした。考えてみれば当然の話です。
    その中で、大阪で活躍されてるFPの方も紹介いただき、よくわからないままに勉強会や交流会の情報があると、とにかくどんどん参加して、色々な人から話を聞きまくっていたことを覚えています。

    そして、FPとして仕事をするならばCFP資格は絶対に必要だというわけで、翌年にすぐ6課目一括で受験したのですが、残念ながらタックスプランニングを落としてしまい、結局CFP資格を取得したのは1997年6月のことでした。

    当時は2人目の子どもが生まれた時でもあり、仕事的にも毎朝6時半には家を出て、22時~23時に帰宅というパターンが続いていたので、勉強時間は早朝しかない!と思い、朝4時に起きて出勤前の時間に勉強してたのを覚えております。妻にも大変な苦労をかけてたと思いますが、すべて受け入れてくれた(と私は思い込んでいました)ので、今の私があるわけですよ。本当に感謝です。

    生命保険会社へ

    合格発表の前から、次に何の仕事をするかを考えていた私は、再びいろんな人の話を聞いていたのですが、とにかく実務を学ぼうと思い、偶然のきっかけでご縁のあった生命保険会社に転職することにしたのでした。

    なぜ生命保険会社だったかと言うと、まず個人のライフプランを組む際に生命保険は絶対と言っていいほど関わってくるから徹底的に勉強したかったこと、独立することを前提にしてましたから、自分の自由裁量で動ける環境が欲しかったこと、個別相談を多く受けたいと思ったこと、そして何より、生命保険会社の方から「うちに来ませんか?」というお話をいただいたことが重なったからということになるでしょうか。

    そして、生命保険会社への転職が決まった1997年12月。またもや衝撃的な出来事が発生いたします。

    それは仲間の死でした。

    ラクロスを一緒にやっていたメンバーで、11月に結婚式を挙げたばかりの友人が、そのわずか1月後に事故で還らぬ人となってしまったのです。この時ほど生きていること死んでしまうことの距離を感じたことはなかったですね。
    お正月やお盆などには、当時のメンバーが私の家に集まる機会が多いので、今でも彼の写真は居間に飾っております。

    その後私は、新たな気持ちでFPとして実務家の一歩を踏み出すべく、ソニー生命保険での活動をスタートいたしました。
    1998年2月のことです。

    郵便番号が7ケタに変更され、長野オリンピックが開催された年であり、金融ビッグバンが始まった年でもありました。

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