FP栗本物語2 :: 高校時代

男子校だった!

  • そんな流れで、京都の立命館高校に通うことになりました。
    この高校時代は、今の私を語るに欠かせない時期でして、とにかくここでできた仲間が最高でした。文字通りの一生の友達が何人もでき、40歳を過ぎた今でも、ひと声掛ければ20人近くがすぐに集まるというすばらしい結束を誇っております。

    さて、入学当時ですが、私の中学からはただ1人の合格でしたので誰も友達はおりません。しかも、立命館は中学からの内部進学者が大多数を占めますから、ますます孤独な状態での高校生活スタートだったのです。

    しかも、驚くことに私は入学式の当日まで立命館高校が男子校だと知らなかったんですよ!
    「そんなアホな」って思われるかもしれませんが、これは本当のお話。「男子校」という概念がなかった私は、受験の時も「やたら男が多いなあ」ぐらいにしか考えていなかったのです。ちなみに、私が入学した翌年から男女共学になったんですけど・・・。
    結果として「男子校最後の学年」という歴史的な立場となりました。

    高校生活を変える人との出会い

    さて、周りが知らない人ばかりの中で、ある日、帰り際にグランドで誰かに「栗本ちゃうの?」って声を掛けられました。
    「え?」っと思い振り返ると、そこにいたのは中学の野球部時代の先輩。2つ上のその先輩も、やはり当時ただ1人だけ立命館に行かれた方でした。知ってる人に出会うってなんと嬉しいことだと思った記憶があります。

    2年ぶりに再会し、「どう、慣れた?」とか「部活とかどうすんの?」という話をしていると、そこに登場されたのがN先輩。もちろんこのときが初対面なんですが、黒のTシャツにGジャンを羽織り、たいそう立派な口ひげを生やしている高校3年生は、私に強烈なインパクトを与えたと同時に、私の高校生活を一変させる存在になるのでした。

    実はこのとき、中学時代の先輩は陸上部に入っておられ、髭ヅラのN先輩も陸上部の方。「おー、お前の後輩か!陸上部に入るんか!」というこの方のひと言で、断る勇気の無い私は予定のなかった陸上部に入部することになったのでした。

    その後も随分このN先輩にかわいがっていただき、行動を共にする時間が増えました。当時の陸上部の3年生は個性的な方が密集しておりまして、この場で詳細を語るわけにはいきませんが、高校1年生としてはかなり豊富な人生経験を踏ませていただくことになったわけです。

    私は「年齢にしては大人びてる」とか「落ち着いてる」と言われることが多かったのですが、それはこの時の経験が背景なのは間違いないでしょう。
    さすがに40歳を過ぎると、あまり関係なくなりますが・・・。

    バイトでさらに変わる生活

    こうした中、当時はアルバイトをすることも普通の流れだったわけですが、実はこのアルバイト先も、後に私の人生を決定づけることになるのです。

    この点はもう少し先の話になるんですが、この時に選んだバイト先はマクドナルド
    これがまた自分にぴったりだったんですねえ~。
    はまりました。高校1年の冬休みからスタートし、結局大学卒業するまでの6年半ほど、親戚の旅館を手伝う以外、バイトはこれ1本でしたから。

    バイト先で、今度は大学生の人たちにかわいがっていただきまして、車という移動手段を手に入れた私の行動範囲はかなり広がることになります(もちろん連れて行ってもらうわけですけどね)。

    マクドナルドで働く姿

    その頃は、バイト先の先輩である女子大生が高校まで車で迎えに来る、なんてことがありましたから、同級生からも「お前は何者やねん?」ってよく言われてました。あ、もちろん男の人が迎えに来たことも多かったんですよ。ただ、どうしても「車で女子大生が迎えにくる」というインパクトが強かったのでしょう。

    当時は、朝6時半からバイトに行って開店準備。7時半ごろ店のオープンと同時に学校に行き、夕方~夜に再びバイト、という日がしょっちゅうありました。
    こんな生活ですし、慕っていた先輩が卒業したあとは当然部活に熱が入らなくなり、ある日突然、選手登録を抹消されてしまうことになってしまいました・・。平たく言えばクビというわけです。
    先日、母校の同窓会で25年ぶりにお会いした顧問の先生からは、「そんなこともあったなあ」と笑いながらお話することができ、時の流れの素晴らしさを実感した次第です。

    バンド、ライブ、生徒会

    また、高校時代はバンドを組んだ時期でもありました。先ほどの話で、高校3年の先輩と随分つるませていただきましたが、その中にバンドを組んでる人がいて、面白そうやなあ~って思ったのと、もともと音楽好きでしたから、気がつけばクラスメイトとバンド結成となったわけですね。

    この時にはドラムをやろうと思っていたのですが、色々あって結局はボーカルを担当することに。当時はハウンドドッグアースシェイカーBon Joviを中心に、ハードロック系のコピーをしており、何度かライブも開催しております。

    そういえば、高校3年生の時には「セブンティーン」っていう雑誌にも2回ほど載りましたね。「ざまぁカンカン」という夕方のテレビ番組の学園祭特集にも5秒間ほど出たりしてました 。

    一番盛り上がってたのは高校3年生の時。
    当時の関心は、学園祭で行うライブハウスだったわけで、これを実現するために仲間内で生徒会を組織しまして、私は副会長をやっていました。そしてライブハウス実行委員長

    かなりアクティブな生徒会でして、みんなが一つになったような感覚があります。学園祭も大成功だったんじゃないでしょうか。このときに同級生総勢50名ほどで行った打ち上げは今でも語り草であります。

    ちなみに、高校3年の時は18歳の誕生日に合わせて、6月ごろから車の教習所にも通ってましたんで、学校の授業は出席日数を計算して、かなり計画的に休んでおりました。
    うーむ、ここでもとんでもない高校生だった気がします。

    朝からバイト。その後教習所。放課後の生徒会活動のため昼過ぎに登校。夜はまたバイト。っていう日々もございました。おかげさまで高校3年生の夏休みには車の免許を取得しておりました。

    バンドの方は、その後メンバーの入れ替わりがあったり、別のバンドでドラムを叩いてたりした時期もありましたが、最終的にはボーカルに落ち着いて大学4回生までなんだかんだと歌い続けておりました。

    そして、当然のように立命館大学に進学することとなるわけです。

    平成2年。世の中では、初の大学入試センター試験が実施され、三井銀行と太陽神戸銀行の合併がありました。また、6月には「岩戸景気を抜いて戦後2番目の景気の長さ」と発表されながら、日経平均株価が大暴落を演じる年です。世界ではソ連のゴルバチョフ大統領が誕生し、湾岸戦争が勃発したのもこの年でした。

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